今か約50年前に放浪の天才画家 山下清にしか見えなかったものは何だったのか?

そしてそれは現代の技術で天才画家の超技巧が解明された時に
我々の前に姿を現しました。

「長崎風景」山下清が風頭公園で見たものは何だったのか?

美の巨人たちで紹介のあった
山下清の切り絵『長崎風景』超絶技巧の貼り絵に隠された計算と天才の秘密、そして放浪の画家と言われた山下清の本当に描きたかったものとは何だったのでしょうか?

山下 清,長崎風景
山下 清 長崎風景

放浪の天才画家と言われた山下清氏

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山下清画伯といえばテレビドラマ「裸の大将放浪記」で有名ですね。

山下清さんは画家で
1922年(大正11年)3月10日 – 1971年(昭和46年)7月12日)
日本中を放浪していたことで知られています。

放浪の画家 日本のゴッホ 山下清

放浪の画家,山下清
放浪の画家 山下清

昭和の時代に最も愛された画家

その画家の絵は筆で書く絵ではなくちぎった色紙を貼る
「貼絵」です。

そして、その画家の名は山下清

山下清は浅草生まれ
11歳の時、知的障害児施設 八幡学園に入園
先生に勧められた貼り絵が認められました。

山下清は学園を何度も逃げ出し放浪を繰り返しましたが
放浪中に絵を書く事はありません。

学園に帰ってきてから放浪中の風景の記憶を紡いでゆくように
貼り絵の絵を描きました。

山下清の頭の中にある情景が
貼り絵として表現されたのです。

山下清の最高傑作『長崎風景』

 

長崎は坂の街
そして坂を上ると眼下には海が広がります

今日の1枚はその長崎の銀行 十八銀行所蔵されています。

十八銀行はその名のとおり全国で十八番目にできた歴史のある国立の銀行です。

一見して輝いているように見える海は
ちぎった色紙を貼り、多彩な色で圧巻の海を作り出しています。

細かくちぎられた色紙です
あたかも、山肌は木を植えるように、町は地図を作るように、家は一軒一軒を作るように、
色紙は1~2ミリに切られて貼られていまます。

「長崎風景」は山下清氏の円熟期40代の頃の作品です。

山下清の『長崎風景』超絶貼り絵の秘密は
2009年から2年をかけて修復された時に
その表現方法が高度な技術であると解明されたのです。

山下清 貼絵の技法

山下清の「長崎風景」
この見事な色彩を生み出す驚異の技術とはなんだのでしょうか?

山下清氏の使った色紙は市販のものです。

『長崎風景』が描かれた場所は
現在、坂本龍馬の像の立つ風頭公園からの眺めです。
ここは放浪の画家、山下清さんのお気に入りの場所だったようです。

今から50年ほど前、山下清さんには見えていたんですね。

普通の人が見えないものまで


山下清にしか見えなかったもの」
それは波の遠近法によって描かれたのです。

山下清の代表作 長岡の花火

山下 清,長岡の花火
山下 清 長岡の花火

1950 28歳の時の作品
打ち上げられた花火の光が川面を照らしています。
指先が作り出す驚異の世界

番組では山下清の制作の貴重なビデオが流されました。
下絵はなく素早く躊躇もなくちぎった色紙を貼ります。

山下清の作品 お蝶婦人屋敷

山下,「お蝶夫人屋敷
山下清「お蝶夫人屋敷」

長崎のグラバー園から描いたお蝶婦人屋敷

山下清 波の遠近法

『長崎風景』
空は大きな断片、雲は小さな断片
家は緻密によりを作り、圧巻は海の表現
わずか数ミリの色紙を気の遠くなるような作業で張りつめていますが

ここには色の遠近法が使われています。

遠くにゆくほど色が濃い色紙が多くなり近くになるほど薄い色の比率が
多くなります。しかも。紙の大きさも変えている。

波の遠近法といえます。

波の柔らかさはちぎった部分の白い紙の色
そして海に写りこんだ山を緑や茶色の色紙で表現しています。

しかし不思議なことにこの『長崎風景』が描かれた頃の街の風景と
実際の『長崎風景』の絵が違うのです。

山下清『長崎風景』への特別な思いとは

はたして山下清は何を描こうとしたのでしょうか?

違いは造船所の位置が全く違います
山の形も違いますね。

風景には不思議なことに人がいない車もいない

山下清は風景をそのまま描いたわけではなかったのです。

山下清が自分だけが生活できる箱庭のようなものを描きたかったのではないかと思われます。

大人でも子供でもなく自分だけの秩序の風景を

晴れた日には永遠がみえる

そんな風景を描きたかったのでしょう。

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