ダ・ビンチ 最後の晩餐の謎 比較 ユダ ティントレットとルーベンス
ダ・ビンチ 最後の晩餐の謎 比較 ユダ ティントレットとルーベンス

最後の晩餐 ユダはどれ?ユダの位置と場所 そして各画家が描いたユダの表現の違いが面白い。

美の巨人たち 「レオナルド・ダ・ビンチ」 「ティントレット」「ルーベンス」
が描いた『最後の晩餐』
最後の晩餐 意味と謎 裏切り者ユダの描き方から見える
三者三様のメッセージの比較をしてみました。

<追記 2018/09/02 Rev11>

天才レオナルドがとらえた聖書の最も劇的な瞬間「汝らのうち一人、我を売らん」その一瞬のドラマを演出するために用いられた独自の表現とは?

最後の晩餐繊維1495年~1498年
420×910cm壁画テンペラ
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院食堂
イタリアミラノ公ルドヴィコ・イル・モーロの命で制作された壁画です。

顔料を油で溶くテンペラ技法が採用されたため絵の具が壁に染み込まず、剥落の原因となりました。

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レオナルド・ダ・ビンチの『最後の晩餐』

最後の晩餐といえば、まず レオナルド ダヴィンチ

イエス・キリストと12人の使徒による『最後の晩餐』はルネッサンス期の

天才画家レオナルド・ダ・ビンチの代表作です。

1482年頃 レオナルドはフィレンツェをあとにミラノへと向かいます。
そしてミラノ行ルドヴィコ・イル・モーロの庇護のもと数々の名画を制作してゆくことになります。

その一つがサンタマリアデレグラッツィエ聖堂の食堂を飾る壁画「最後の晩餐」です。

キリストが、磔(はりつけ)の刑に処される日の前夜12人の使徒を集めて行った最後の晩餐は
それまでも多くの画家に描かれてきた主題でした。

しかしレオナルドは聖人を入念に研究し、これまでにない最後の晩餐会を完成させたのです。

聖書の最も劇的な瞬間を切り取ったレオナルドダ・ヴィンチの傑作

レオナルド・ダ・ヴィンチが切り取ったのはこの伝説の最も劇的な瞬間でした。

キリストのいう「汝らのうちの1人はわれを売らん」

言葉がキリストの口から放たれたその一瞬でした。

この絵は、イタリアのミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の

食堂の壁画として描かれたもので

1977年から1999年5月28日にかけて大規模な修復作業が行われました。

『最後の晩餐』は、キリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の晩餐の情景を描いていて、

12弟子の中の一人が私を裏切る、とキリストが予言した時の情景です。

その裏切り者が「ユダ」なのです。

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最後の晩餐 ユダの位置(場所)はどれ

ヨハネによる福音書13章21節にある、

キリストが予言した12弟子の中でキリストを裏切る

ユダの位置(場所)は最後の晩餐 どれになるのでしょうか?

こちらがキリストを中心において

最後の晩餐の左側です。

2016-11-12_1902

レオナルド・ダ・ビンチがとった今までにない「最後の晩餐」の構図

レオナルドはキリストの両側に3人ひと組の使徒たちを2組ずつ配し裏切り者が存在するという衝撃が左右に波及していく様を描写しました。

裏切り者のユダが判明した後の情景を描いた従来の「最後の晩餐」に対し、その直前の緊張感をみなぎる瞬間を捉えた構図を作り上げたのです。
最後の晩餐の技法は、遠近法の焦点にキリストを置き、「驚き。この事実に動揺する使徒たち」を諦観の境地にあるキリストの静かな姿を対比させています。

物語の悲劇性を高めたのです。

この完璧な遠近法構図には食堂という現実の空間と画面等を連続させ観る者に臨場感を体感させるという効果もありました。

しかし、この技法はテンペラ技法で描かれていたため、完成間もなく剥落し恥剥落が始まったのです。
そして、劣悪な環境や度重なる無定見な修復、戦火などの被害を受けてきましたが、近年の修復技術によって全面剥落の危機を逃れることができたのです。

 

最後の晩餐の構図に見るユダ

ダ・ビンチ 最後の晩餐の謎

中心のキリスト

そしてキリストの左がヨハネ

映画『ダ・ヴィンチ・コード』ではヨハネはマグダラのマリアとされた人物です。なるほど女性に見えます。

そしてヨハネに耳打ちするペテロ

ペテロの前で顔を

ヨハネのほうに向けているのが

ユダです。

最後の晩餐に見られる

最後の晩餐 ユダ 位置
最後の晩餐 ユダ どれ
最後の晩餐 ユダ 場所

レオナルド・ダ・ビンチの『最後の晩餐』で描かれるユダは

イエスを裏切った代償としての

銀貨30枚が入った金入れの袋を持っているとされています。

しかし、不思議な絵です。

2016-11-12_1921

聖書には「手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る」とありますが

イエスを裏切り、イエスを引き渡した後で銀貨を受け取ることになっていた

ユダがここで銀貨を持っているのでしょうか?

レオナルドダヴィンチの最後の晩餐。何を意味しているのでしょうか?謎は深まるばかりですね。

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レオナルドダヴィンチの最後の晩餐 絵画鑑賞のポイント

ダ・ビンチ 最後の晩餐の謎 比較 ユダ ティントレットとルーベンス

遠近法の中心にあるキリストですが、近年の修復によってキリストの「こめかみ」に遠近法消失点を示す釘穴が発見されました。
伝説的構図では裏切り者のユダのみをテーブルの反対側に描いていますが、ダヴィンチはキリストを中心に使徒を左右3人2組ずつ配置し、画面にリズムを与え、聖書の最も劇的な瞬間「汝らのうち一人、我を売らん」とのキリストの言葉の衝撃が伝わってくる様子を描きました。

キリストの右側にはキリストのまな弟子ヨハネ地上における協会の代表者でテロそして裏切り者のユダが描かれています。手や顔の微妙な表情がそれぞれの心理を表現しています。

最後の晩餐を描いた頃のレオナルドダヴィンチ

画像)https://www.cinematoday.jp/news/N0023152

レオナルド・ダ・ヴィンチはフィレンツェ郊外の小さな村ヴィンチに誕生しました。
14歳でフィレンツェに移住し、ヴェロッキオの工房に入門。

27歳で独立し、30歳でミラノに移住以降
17年間イタリアミラノ公ルドヴィコ・イル・モーロに使えました。

最後の晩餐を描いたのはこの頃となります。

レオナルドはミラノ公ルドヴィコ・イル・モーロに対して自らを軍事技術者・建築土木技師として推薦しています。

絵画に関しては最後に簡単に触れるにとどまりました。

事実、ミラノでの彼は絵画以外の仕事に携わることが多かったといわれています。

建築家としての城の改築、技術課として利水、
運河工事を手掛けています。

また演出家としては宮廷での祝祭を準備し、さらに自ら楽器を開発し奏でる一流の音楽家でもありました。

万能の人と言われ出ているレオナルドの活躍はこの時代に始まったと言えます。

スタイルいるモード失脚後は、ベネチア、フィレンツェ、ミラノを転々としつつ、絵画を描き、
一方では解剖学を中心とした自然科学研究に没頭。

1519年フランス国王フランソワ1世の招きで訪れたアンボワーズにて客死しています。

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