『美の巨人たち』絵画とは思えぬ炎
高島野十郎『蝋燭』輝きの正体に秘めた画家魂とは
2018年9月29日(土) 22時00分~22時30分
「美の巨人たち」で高島野十郎が紹介されるのは2006年以来です。
美術番組『美の巨人たち』で紹介されるのは大正~昭和の画家として知られる
高島野十郎の作品『蝋燭』です。
高島野十郎と書いて「たかしま やじゅうろう」と読みます。
高島野十郎はなぜ、生涯家族を持たず、長閑な農村で画壇とも関わらず
1本の蝋燭を何枚も何枚も書き続けたのでしょうか?
高島野十郎の『蝋燭』の謎と彼の作品を紹介します。
高島野十郎のプロフィール プロフィール
画家 高島野十郎「たかしま やじゅうろう」は
明治23年(1890年8月6日)
福岡県御井郡合川村足穂(現在の福岡県久留米市)に生まれました。
本名は 髙島 彌壽
高島野十郎の生家は酒造業を営む資産家で
将来を嘱望された高島野十郎は
東京帝国大学農学部水産学科を首席で卒業します。
しかし彼は周囲の期待に反して独学で絵を学び画家の道へと進ことを志ざします。
の画家としての人生は極めて異例のもので
「世の画壇と全く無縁になることが小生の研究と精進です」とする高島野十郎は
終生画家として画壇と交わることなく、絵は独学で学び、独自の写実表現を追求しました。
その晩年は終生家族を持たず、画壇とも一切関わらず千葉県柏市の郊外に質素なアトリエを建て、
電気、ガス、水道のない環境で絵を描く生活をしました。
昭和50年(1975)死去。享年85歳。
高島野十郎は生前は、画家としては、ほとんど知られることがありませんでしたが
没後、彼の作品である『蝋燭』を所蔵する福岡県立美術館をはじめとする展覧会で
その存在が知られるようになりました。
「美の巨人たち」高島野十郎の作品『蝋燭』について
「美の巨人たち」高島野十郎の作品『蝋燭』番組内容
1960年、油彩画『蝋燭』の作者・高島野十郎は70歳の時に千葉県増尾へ移住。
世俗から遠く離れ、独り静かに絵を描いていました。もともと「蝋燭」は絵の購入者や友人たちに贈ったもの。
生涯にわたり蝋燭を何枚も何枚も描き続けました。今回の作品もその中の一枚。絵画とは思えないほど、ゆらりとした炎が見る者を照らします。なぜ私たちは炎に魅入ってしまうのでしょうか?
その秘密は光を当てるとキラキラ輝く“ある物質”にあったのです。
長閑な農村にたどり着いた画家が、蝋燭の炎を見つめ描き続けた静寂と沈黙の神秘…世間との交わりを断ち、純粋に絵画を探求し、1本の蝋燭を何枚も何枚も描いた画家の物語!
「美の巨人たち」高島野十郎の作品『蝋燭』について
野十郎は《蝋燭》を生涯にわたって描き続けながらも、決して展覧会に出すことも、売ることもありませんでした。蝋燭の絵は自分にとって大切な人へ感謝の気持ちを込めて一枚一枚手渡したそうです。そして野十郎から《蝋燭》を手渡された者たちは、絵の大きさといい、その特殊な主題といい、親密さに溢れた状況の中で眺め続けたのでしょう。
野十郎と、それを贈られた者の濃密な関係性を媒介する《蝋燭》。《蝋燭》が放つあたたかな光は、あまねく世界を照らすわけではないにせよ、野十郎の思いが濃密であるがゆえに、画面から溢れ出て、時空を異にする我々の心にもあたたかな光をともしてくれます。まさに《蝋燭》こそは、交錯する光と闇の表現を探求し続けた野十郎の真骨頂と言えます。
高島野十郎の作品
高島野十郎作「太陽」昭和37年
「秋の花々」昭和28
「りんごを手にした自画像」大正12年、福岡県立美術館蔵
高島野十郎の作品『蝋燭』のある美術館 美術館
「蝋燭」は「蝋燭の画家」と称するのトレードマークともいわれる作品で福岡県立美術館に所蔵されています。その作品のサイズは、ほとんどが極めて小さいサムホール (約25×16㎝)という画面で、その中心に一本の蝋燭が描かれます。
高島野十郎の「蝋燭」は炎の輝きや軸の太さや長さはそれぞれ異なり、ひとつひとつが独特の雰囲気があります。
蝋燭が一体何を照らしているのかが絵の中で明示されないがゆえに、作品は象徴性を帯び、その神秘的な雰囲気ともあいまって、福岡県立美術館で高島野十郎の絵に対峙する我々自身の心が揺さぶられるようでもあります。