デルフトの眺望(1660年~61年)
デルフトの眺望(1660年~61年)

フェルメール デルフトの眺望の場所と技法・そしてフェルメールが自画像を1枚も残さなかった理由とは?

デルフトの眺望(1660年~61年)

美の巨人たちで取り上げられるのは
ヨハネス・フェルメールのデルフトの眺望です。
その、フェルメールの作品として残るデルフトの眺望の場所は
どこなのか?

デルフトの眺望と町並み

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17世紀・オランダ絵画黄金時代を代表する傑作
フェルメール 「デルフトの眺望」1660年頃の作品と言われています。

フェルメールが一生を過ごした
デルフトは「オランダの小さな真珠」と呼ばれる美しい町です。

デルフトはオランダの首都アムステルダムから
デンバーグを経由して約1時間のところにある小さな町です。

デルフトno

そして、はフェルメール デルフトの眺望は経由駅のデンバーグの
マウリッツハイス美術館の2階の第16号室にあります。

有名な「真珠の耳飾りの少女」の向かい側にこの「デルフトの眺望」が
飾ってあります。

「デルフトの眺望」はほぼ正方形に近い絵画です。

時計の針が示しているのは朝の7時10分
初夏の朝、清々しい空気に満ち、壁や水面、船までも、まるで光を放っているようなデルフト町の

眺めを、日常のひとときをフェルメールは永遠の時間の中に昇華させました。

寡作の画家フェルメールが遺した風景画の美しさの魅力とは

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謎を解く鍵は絵の中にある2つの塔

新教会と旧教会

街の中心マルクト広場のすぐ近くにフェルメールの生まれた家があります。
この近くは洗礼を受けた場所、結婚して住んだ場所、そしてフェルメールのお墓もあります。

この、街がフェルメールの人生の全てでした。

フェルメールは何故、デルフトの眺望を描いたのか?
理由の一つが、画面の中央で輝くデルフト新教会かもしれません。

1632年フェルメールはここで洗礼を受けました。
デルフト新教会は、街の誇りであるとともに自らの原点だったのです。

そして、デルフト新教会のすぐそばにあるのが、彼が結婚後に住んだ家です。
ここは、フェルメールの奥さんの実家です。
彼は人生の大半をここで絵を書いて過ごしました。

このあたりは今もフェルメールがいた頃とほとんど変わっていないそうです。
フェルメールのモデルになった人々もみんなこのあたりで生活していました。

窓辺で手紙を読む女

窓辺で手紙を読む女1658年~59年

天秤を持つ女

天秤を持つ女1664年

フェルメールの室内絵はほとんど左側からやわらかな光が差しています。

室内絵ばかりの彼が何故、風景画を描いたのか?

もうひとつの秘密はかっての火薬庫にあるのかもしれません。

フェルメールの師匠カレル・ファブリティウス

1654年10月12日
火薬庫に蓄えられていた40トンもの火薬が爆発しデルフトの町に甚大な被害をもたらしました。

死者1000人、街の大半が壊滅したそうです。

その、死者の中に一人の画家の名がありました。

カレル・ファブリティウス
光の描き方についてにフェルメールに大きな影響を与えた人物で
彼の師と言われる人物です。

五色ひわ ファブリティウス作1654年
五色ひわ
ファブリティウス作1654年

五色ひわ

ファブリティウス作1654年

楽器商のいるデルフトの眺望
楽器商のいるデルフトの眺望

楽器商のいるデルフトの眺望

ファブリティウス作1652年

その、ファブリティウスの死から6年後に描かれたのが
街の誇りや無くなった人々への追悼として「デルフトの眺望」でした。

カレル・ファブリティウスの死はデルフトの市民から嘆かれました。
しかし、その死から現れたフェルメールは師の開拓した道を
堂々と歩むことになりました。

フェルメールが描いた場所は唯一災害から逃れた場所でした。
災害から復興したをデルフトの街を亡き師への鎮魂歌として描きました。

フェルメールの技法と意図とは

豊かな色彩再現
ゴッホはこのように驚愕しています。

この絵を間近で見るとまるで信じられないくらいだ
数歩離れたところで、想像していた絵の具とはまるで違う色で
描かれているのだ。

輝きを生み出す光の使い方

「デルフトの眺望」が何故このように清々しい絵なのか?
秘密は画面の3分の2を占める空にあります。

雲の合間から見える
明るい空を見ると空気がとても澄んでいるのがわかります。
これは雨上がりによく見られる状態です。

朝まで降り続いた雨が上がり
ようやく顔を出した太陽が街のあちらこちらにある水滴を照らし出します。

フェルメールは
はこのデルフトの光と輝きを余すことなく描こうとしたのです。

フェルメールの絵は絵の具に砂を混ぜ
砂が反射する複雑な凹凸が光を反射するため絵が輝いて見える
と言われていました。

しかし、本当は砂は混ぜてはいませんでした。

砂だと思われていた凹凸は絵の具に含まれる
鉛と油が化学反応で砂利のように固まり絵の具の層を突き破ったものです。

では、この絵が光を発しているように見えるのはなぜでしょうか?

2つの技法が使われています。

ウエット・イン・ウエット法

ロッテルダム門の壁の描き方は厚塗で絵の具を持ってゆき絵の具が
乾かないうちにまた絵の具を重ねてゆきます。

これがウエット・イン・ウエット法です。

暑く塗られた絵の具、さらに乾くまでに上から塗られたことで生まれた
複雑な凹凸が光を複雑に反射させています。

ゴッホが言うように
離れてみれば単色にみえますが近くに寄ってみると様々は色が
複雑に交じり合っています。

それによって絵に輝きを生んでいるのです。

グレーズ技法

運河の水面にはグレーズ技法が使われています。
まずは明るくしたい部分に白く下塗りをします。

水の青は天然鉱石ラピスラズリから作られた顔料「ウルトラマリンブルー」
フェルメールは深い青を好み多用しました。

この「ウルトラマリンブルー」を油で解き透明感がでるまで薄くのばします。

グレーズとは透明感がでるまで薄くのばした絵具のことでしす。

このグレーズを白い下塗りの上に塗ってゆくと
表面に水があるのと同じ効果で、光が絵に当たると光は薄いグレーズ層を通り抜けて明るい
下地に届き反射します。

それによって輝きに深みが出ます。

スヒー港、ここがデルフトの眺望を描いた場所です。

デルフト2

350年前にこの場所でフェルメールはデルフトの眺望を描きました。

フェルメールが1枚の自画像も残さなかった理由は
この絵に秘められています。

さりげない風景の中に今まで描いてきた人の営みが描かれています。

洗礼を受けた新教会と旧教会も描かれています。
旧教会はフェルメールのお墓のある協会です。

この街で生まれ、そして土に帰る、フェルメール本当に半径500mの人生でした。
彼が1枚の自画像を残さなかったのは
もしかしたらこの絵こそ彼の自画像ふだったからかもしれません。

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