
ムンクの「叫び」が初来日します。誰でも一度は見たことのあるインパクトのある絵ですよね。
英語名の意味は?そしてムンクの「叫び」の意味は作者の死の恐怖と不安を描いている絵だといいますがその真相をムンクの生い立ちや思春期から探ってみました。
【関連記事】
ムンク展2018「叫び」の混雑状況をリアルタイムで知る方法
ムンクの「叫び」が初来日 作者が絵画に込めらた意味は何なのか?

エドヴァルド・ムンク
Edvard Munch
1863年12月12日 – 1944年1月23日
「叫び」エドヴァルドムンク
エドヴァルドムンク作
1893年91☓73.5cm カゼイン 油絵 パステ ル厚紙/オスロ国立美術館
「叫び」は死への不安と恐怖を芸術に昇華させたと言われている作品です。
色彩とタッチで内面を表しつつ、両手で耳をふさぎ、大きく口を開けている不気味な人物が橋の上に1人立っているというシンプルな絵ですが内面に語りかけてくる何かがあります。
この絵にムンクが込めた意味は何だったのでしょうか?
ムンクの叫び 作者・ムンク幼少期と晩年
ムンクはどんな画家だったのでしょうか?
エドヴァルド・ムンク(1863年~19444年)
ノルウェーに生まれ20代半ばでパリへ留学すると当時の前衛芸術に関心を示し、
特にゴッホの波打つようなタッチに影響を受けました。
ムンクはやがてドイツを拠点に、愛と死、不安と恐怖をテーマに絵を描くようになり、成功を収めます。
郷土のノルウェーに落ち着いたのは40代半ば頃からでしたが、現在でもムンクはノルウェーの国民的画家として親しまれています。
意外に長生きだったムンク
幼い頃から体が弱く常に死の恐怖を抱えていたムンクですが、80歳の生涯を全うしました。
ムンクの私生活は波乱万丈で、過去には恋愛関係のもつれから恋人に発砲事件を起こされ、左手の一部を失ったこともあります。
ムンクの主な作品はどんな作品がある?
マドンナ/油彩/オスロ国立美術館(オスロ)

思春期/油彩/オスロ国立美術館(オスロ)

吸血鬼/油彩/ムンク美術館(オスロ)

接吻/油彩/ムンク美術館(オスロ)

ムンクの叫び 英語名と意味するものは恐怖
ムンクの「叫び」は英語は「The Scream of Munch」
Screamの意味は
叫び声を上げる、金切り声を出す、悲鳴を上げる、叫ぶなどの意味があります。
特に驚き・恐怖・苦痛などが原因で叫ぶことがScreamの意味となります。
ムンクの叫びの意味は作者の死の恐怖と不安だった!
では、「ムンクの叫び」が表現したかったのはどんな意味だったのでしょうか?
「ムンクの叫び」のインスピレーションはムンクが当時29歳だった時でした。
画家のムンクは友人と歩いている時に憂鬱な気分に襲われ、その時に感じたインスピレーションを絵て表しました。
- その絵には血の色を思わせる赤い空
- 極端な遠近法で描かれた長い橋
- うねうねと波打つ曲線
などはこの絵には鑑賞者の不安をあおるような描写が多く見られます。
ムンクの死への恐怖が絵画に
ムンクは幼い頃に母と姉を相次いで結核で亡くしたことから、常に死の恐怖と戦っていたといわれています。
そんな人間の死という内面的な苦悩から目をそらさず、芸術に昇華させたムンクの作品は当時の保守的な人々からは反感を買ったこともありました。
ムンクの叫びの作品の背景古典がスキャンダルとなる
ムンクは叫びを描く前年の1892年、ベルリンで個展を開きますが、恐怖や不安を生々しくキャンバスにぶつけた作品は非難され展覧会は1週間で打ち切られました。
死に対する不安を和らげるのではなく、その恐れを増幅させるようなムンクの作品は保守派には受け入れられなれなかったのです。
しかし、その独自性が評価され、世紀末のヨーロッパ美術に大きな影響を与えました。
叫びのモデルはムンク自身?それともミイラ?
両手で耳を塞ぐ男顔を歪め独特のポーズをとる男のモデルは誰なのでしょうか?
作品の背景はムンクと二人の友人です。
背後にいる人物の正体はムンクは2人の友人と歩いていた時に叫びの着想を得たと述べております。絵にもその2人の人物を描いています。
しかし友人は離れて歩いていたためにに主役の男の孤独感と恐怖がより増している絵になってます。
また、叫びのモデルになった男は内面はムンクの心理状態ですが、外観においては
当時杯の人類史博物館に展示されていたミラではないかという説があります。
それはゴーギャンの作品にも登場した南米ペルーのミイラでムンクもパリ滞在中に目にしたものかもしれません。
ムンクの叫びは実際の骨格を無視した描き方ですが内なる叫びが聞こえてくる作品です。
ムンク展―共鳴する魂の叫び
Munch: A Retrospective
東京都美術館
2018年10月27日(土)~2019年1月20日(日)
【関連記事】