美の巨人たち“怖い絵”本当の怖さドラローシュ『レディ・ジェーン・グレイの処刑』2017年11月4日(土) 22時00分~22時30分
- 天才画家ドラローシュとは
- 女王レディ・ジェーン・グレイとは
- 『レディ・ジェーン・グレイの処刑』に隠された“怖い絵”の本当の怖さとは
満十六歳で斬首刑によりその生涯を終えた女王レディ・ジェーン・グレイの『レディ・ジェーン・グレイの処刑』絵に隠された“怖い絵”本当の怖さ
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美の巨人たちドラローシュ『レディ・ジェーン・グレイの処刑』
ジェーン・グレイは450年ほど前イングランド初の女王として即位しながら9日間でその座を追われた悲劇の女王
『レディ・ジェーン・グレイの処刑』は
19世紀のフランス人天才画家ポール・ドラローシュによって描かれた望みもしない君主の座に祭り上げられた悲劇の少女の処刑を描写した一枚です。
美の巨人たち“怖い絵”本当の怖さ
わずか9日間で王座から追われたイングランド初の若き女王の悲劇!美しくも怖い絵の裏に隠された“本当の怖さ”とは?天才画家ドラローシュの計算し尽くされた企みに迫る!
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美の巨人たち ドラローシュ
ポール・ドラローシュ(1797年7月17日 – 1856年11月4日)は、フランスの画家。
本名はイッポリト・ド・ラ・ローシュ(Hippolyte De La Roche)。日本ではドラロッシュ、ドラロシュとも表記される。
ドラロッシュの作品
- レディー・ジェーン・グレイの処刑
- エリザベス1世の死
- クロムウェルと棺の中のチャールズ1世
- ロンドン塔の若き王と王子
- アルプスを越えるボナパルトルト
- フォンテーヌブローのナポレオン
レディ・ジェーン・グレイ
異名に九日間の女王レディ・ジェーン・グレイの処刑について
イングランドの女王ジェーン・グレイは(1537年10月12日~1554年2月12日)は、(在位1553年7月10日- 19日)異名に九日間の女王(Nine-Day Queen)といわれる
イングランド史上初の女王として即位したが、在位わずか9日間でメアリー1世により廃位され、その7か月後に大逆罪で斬首刑に処された。
なぜ、斬首刑になったのか?
ジェーンの血統に着目したウォリック伯(のちのノーサンバランド公 ジョン・ダドリー)は、政敵サマセット公 エドワード・シーモア(エドワード6世の母方の伯父)に反逆の汚名を着せ処刑した後、自分の息子ギルフォード・ダドリーとジェーンを結婚させた。
そうして、王位継承のライバルとなるヘンリー8世の子メアリーがカトリックであることを利用し、熱烈なプロテスタントのエドワード6世を説き伏せ、病床の国王から自分の死後ジェーンを即位させることを指示する勅令を得た。
ノーサンバランド公の最終目的は、ジェーンとギルフォードの息子(ノーサンバランド公の孫)を王位につけることにあったという。
エドワード6世が死去すると、ノーサンバランド公はジェーンの即位を宣言したものの、陰謀を察知したメアリーが逃亡し身柄を拘束できなかった。
そのためメアリー派の反攻を許すこととなり、1553年7月19日にサフォークでメアリーが即位を宣言、ジェーンと夫ギルフォードらが逮捕された。ついでギルフォードの兄弟であるジョン・アンブローズ・ロバート・ヘンリーらダドリー一族も逮捕された。
その後、ジェーンはロンドン塔幽閉を経て、1554年2月12日、夫ギルフォードとともに斬首された。王位に就いたメアリーは当初、ジェーンの処刑に躊躇したといわれるが、スペインからジェーンが処刑されなければメアリーと皇太子フェリペとの婚約を解消するとの申し入れを受けて、処刑を決断したという。
なおこの1554年2月というのは、ジェーンを王位に即けることを要求したワイアットの乱の起きた月でもあり、その影響もあったと考えられる。
処刑後、遺体は夫ギルフォードとともにセント・ピーター教会に葬られた。 満16歳の生涯であった。
父は初代サフォーク公爵ヘンリー・グレイ、母は同公爵夫人フランセス・ブランドン。母方の祖母がヘンリー8世の妹でプロテスタントのメアリー・テューダーだったことがジェーンの王位継承権の根拠となった。
『レディ・ジェーン・グレイの処刑』の怖い絵の怖さ
断頭台に散った、9日間の若き女王 レディ・ジェーン・グレイ
エリザベス1世が即位する4 年前の1554年2月。 ロンドン塔に幽閉されていた「前女王」が処刑された。 権力闘争と 宗教対立という時代の荒波に翻弄され、 突如女王にまつりあげられた末の悲劇
ドラローシュの『レディ・ジェーン・グレイの処刑』
作品にはいくつか気になる点が。
- ジェーン・グレイの史実とは違う描写
- ジェーン・グレイの周りの人物の不自然な比率
- 演劇の舞台のような背景
全ては究極の怖い絵にするための巧みな仕掛けだったのです。
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